大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和58年(行ツ)111号 判決 1984年7月06日

奈良県生駒市高山町八四五六番地の二

上告人

稲垣政雄

右訴訟代理人弁護士

酒井武義

被上告人

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

寺島健

大阪市東区大手前之町一番地

大阪合同庁舎第三号館

被上告人

大阪国税局長塚越則男

奈良県生駒市東新町八番三八号

被上告人

生駒市

右代表者市長

前川具治

同所同番号

被上告人

生駒市長 前川具治

奈良市登大路町八番地

被上告人

奈良県

右代表者知事

上田繁潔

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五七年(行コ)第五〇号譲渡所得税債務不存在確認等、県民税債務不存在確認請求事件について、同裁判所が昭和五八年七月一四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人酒井武義の上告理由について

本件所得税の納税申告が上告人の意思に基づくものであるとした原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。また、原審の適法に確定した事実関係の下においては、右納税申告に無効事由が存在するとは認められないから、本件所得税債務は右納税申告により確定したものというべきである。したがつて、右納税申告を有効としたうえ、本件所得税債務の存在を肯定した原審の判断は、結論において正当として是認することができる。本件所得税債務が課税処分により確定したかのごとくいう原判決の説示は、措辞適切を欠くものといわざるをえないが、本件所得税債務は納税申告により確定したものであるから、課税処分の無効をいう所論は、原判決の結論に影響を及ぼさない点につき独自の見解を前提として原判決を論難するにすぎないものであり、本件所得税債務が存在しないことを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧圭次 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 島谷六郎)

(昭和五八年(行ツ)第一一一一号 上告人 稲垣政雄)

上告代理人酒井武義の上告理由

一、上告理由第一点。原判決には租税債務確定の効果に関する法令の解釈・適用を誤つた違法がある。

国税通則法第一六条は、「国税についての納付すべき税額の確定の方式」という表題で、「納付すべき税額が納税者のする申告により確定することを原則とし」と定めて、所得税・法人税等主要な直接税については、申告納税方式を採用している。

申告納税制度は、法定の納税義務者に対し、その課税内容を最も知悉する者として、法律の定める手続に従つて、一定の要式により、できるだけ正確な課税内容を申告することを期待する一方、この納税申告に対し、原則として、既に国家と納税義務者との間に成立している納税義務の確定という公法上の効果を付与し、この確定した納税義務を前提として、その申告に係る具体的な租税債務を負担するに至るものであるから、この申告行為は課税権者と納税義務者との間の具体的な租税債権債務関係を発生せしめるための法律要件であるから、納税申告なくして租税債権債務の確定の効果は発生しない。

ところが、奈良税務署に対する上告人名義でなされた昭和四九年分の所得税の確定申告書(乙第一号証)は、上告人が作成・提出したものではなく、訴外稲垣政治が税理士である訴外山形幸一をして上告人名義を冒用して作成させ、これに三文印を押捺して、上告人の不知の間に提出したものであるから、右納税申告は権限のない第三者の作成に係る偽造文書であつて当然無効であり、かつ納税申告は公法上の効果を発生せしめる行政上の準法律行為的行政行為と解されており民法の表見代理の規定は適用されないから、上告人の奈良税務署に対する納税申告は存在しないものと解すべきである。

したがつて上告人について納税義務の確定という公法上の効果は生じていないから、右納税申告に基づく本件課税処分は当然無効であり、右課税処分を前提とする本件差押処分も無効である。

それ故右納税申告及び本件課税処分を有効として、上告人の請求を棄却した原審の判断には租税債務確定の効果に関する法令の解釈・適用を誤つた違法があり、原判決はこの点から破棄さるべきである。

二、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな所得税法第一二条の解釈・適用を誤つた違背がある。

原判決は、「本件土地の売却代金はすべて訴外政治が取得している以上、右売却代金を現実に取得していない控訴人に対する本件各課税処分には、控訴人が主張するように、いずれも実質所得者課税の原則を定めた所得税法一二条に反する重大な瑕疵があるというべきである。」としながら、「しかし、前記認定のとおり、契約書上も不動産登記簿上も、控訴人と電々公社との間の売買契約により、本件土地の所有権は控訴人から電々公社に移転したことになつており、その売買代金も控訴人名義の銀行の預金口座に振込むことによつて支払われ、控訴人名義で本件譲渡所得税の確定申告書が提出されていたのであるから、右瑕疵が本件各課税処分時に客観的に明白であつたとは認め難い。」と判示して、上告人の請求を棄却した。

ところで瑕疵ある行政行為の効力いかんについては、一般に実定法上特別な規定なく、その解決は主として判例・学説に委ねられているが、判例学説は、争訟手続との関連において、いわゆる瑕疵ある行政行為に取消し得べき行政行為と無効な行政行為を区別し、前者は違法又は不当という瑕疵を帯びているにも拘らず、一応行政行為としての効力を生じ、権限ある機関の取消をまつて効力を失うのに対し、後者は、行政行為としての効力を生ぜず、権限ある機関の有権的な取消をまつまでもなく、何人もこれに拘束されることはない、としている。

右のような行政行為の無効と取消とを区別すべき標準は何か、換言すれば、いかなる瑕疵をもつ行政行為が無効となるかという問題については、古くから議論されてきたのにも拘らず、なお種々の考え方が対立しているのが現状であり、しかも、この問題は理論上のみならず実務上にも常に登場する問題であることは、行政行為の無効に関するおびただしい判決例の存在がこれを物語つている。その意味において、この行政行為の無効と取消の区別の問題は、依然として、行政法学上の重要問題の一つであることを失つていないと言うことができる。

ところで、わが国の判例学説の大勢は、いわゆる重大明白な瑕疵のある行政行為を以て無効な行政行為としている(重大明白説)が、これに対し、重大な違法があればたとえ明白でなくても行政処分は無効であるとする見解も有力である(重大説)。

すなわち、旧憲法下におけるかつての行政裁判・司法裁判分離の制度の下では、行政裁判所は、行政権の内部の機関として、一定の範囲の行政処分の適否を争訟手続により最終的に決定したが、出訴事項は狭い範囲に限定され、争訟の形式も抗告訴訟にかぎられていた。従つて、行政裁判所に出訴することを許された処分以外の処分については、行政庁自身が、原則として最終的にその適否を決定していた。このような制度の下で、行政権と司法権との区分を実質的に無意義ならしめない範囲で、行政処分の適否は原則として行政庁自体により最終的に決定せらるべきものとすること(すなわち行政処分に公定力を認めること)によつて生ずる個人の権利救済の不完全さを補うためには、行政処分の瑕疵が「重大かつ明白」なものであるかどうかにより、当然無効の処分と取消し得べき処分とを区分し、当然無効の処分については、その無効を前提とする私法上の権利関係につき司法裁判所に出訴を許すことが合理的であつたわけで、この意味において、瑕疵の「重大かつ明白性」という基準により当然無効の処分と取り消し得べき処分とを区分する考え方が、旧憲法下の制度の下では、合理的意義をもつていたことは明らかである。ところが、新憲法の下では、行政処分の適否に関する争いを含む公法上の権利関係に関する訴訟も制度上司法裁判所が最終的に審査する権限を有することになり、ここに事情は一変したから、前述のような意味において、無効行政行為の標識としての瑕疵の「明白性」を要求する理論的根拠はなくなつたものとし、裁判所の慎重な判断により当該行政処分に重大な違法の存在が認められた場合に、しかしなお違法が明白でないという理由で救済を拒否すべきものとすることには合理的理由がなく、「重大な違法」(すなわち瑕疵の重大性)があれば行政処分は無効であると解すべきであるとするのである。

ところが最高裁判例は、国籍不存在確認請求事件に関する昭和三一年七月一八日の最高裁判所大法廷判決(民集一〇巻七号八九〇頁)以来、行政処分の無効原因たる瑕疵は重大かつ明白を必要とするという、いわゆる重大明白理論を採り、瑕疵が重大かつ明白である場合にのみ無効となる、とするのがこれ迄の判例の態度であつた。もつとも、瑕疵の明白性については、昭和三六年三月七日最高裁第三小法廷判決の「瑕疵が明白であるかどうかは、処分の外形上、客観的に誤認が一見看取し得るものであるかどうかにより決すべきものであつて、行政庁が怠慢により調査すべき資料を見落したかどうかには、処分の外形上客観的に明白な瑕疵があるかどうかの判定に直接関係を有するものではなく、行政庁がその怠慢により調査すべき資料を見落したかどうかかかわらず、外形上、客観的に誤認が明白であると認められる場合には、明白な瑕疵があるというを妨げない」(民集一五巻三号三八一頁)という、いわゆる「外観上一見明白説」と呼ばれるものに対して、昭和三七年七月五日最高裁第一小法廷判決の、行政処分の瑕疵の明白性につき先例に見られる「客観的に明白ということは、客観的ということが主観的に対応する概念であるから、処分関係人の知、不知とは無関係に、特に権限ある国家機関の判断をまつまでもなく何人の判断によつても、ほぼ同一の結論に到達し得る程度に明らかであることを指すものと解すべきである」(民集一六巻七号一四三八頁)と判示したいわゆる「客観的明白説」とにわかれていた。

ところで一般に、無効原因訴訟の対象となりうる処分の無効原因につき、瑕疵の明白性を不要とする説のあることは前述のとおりであるが、これに対し判例は、行政裁判所時代から田中(二)説によつて重大明白理論を採り、下級審判例またこれに従うというのが現状であるが、処分の無効原因としての瑕疵の重大・明白性を重大性と明白性とに分離し、この二要件をそれぞれ別個独立に検討観察するという手法によるときは、具体的事案の処理と解決のうえで、往々にして克服し難い困難に逢着することがある。そして、その弊害が最も顕著に現われるのが課税処分についてであると、指摘されてきた。

最高裁判例は、課税処分に関する場合をも含めて、重大・明白理論を採るが、問題は判例・通説が無効原因としての瑕疵の明白性を要求する根拠それ自体である。

すなわち、実定法上行政行為の無効の観念をたてる意味は、取消訴訟以外において、かつ、法定の出訴期間を徒過した場合にでも当該行為の無効の主張を認めることによつて、国民の権利救済をはかることにある。いいかえれば、究極的には、重大な瑕疵ある処分によつて侵害された国民の権利保護の要請と、これに対するものとしての法定安定性および第三者の信頼保護(換言すれば、処分を無効とすることによつて侵害される既得の権利の保護)の要請との調和、利益衡量の問題である。その際、すでに形成された法的秩序を出訴期間徒過後においてなお覆滅するにあたつて、瑕疵の重大性はこれを一応前提とすることは正しいとしても、これに加えて一般的に明白性の要件をそこに要求することは必ずしも制度上当然の要請とはいえない。

すなわち、極めて重大な瑕疵が存する一方、明白性は欠けるが具体的事情のもとでその行政行為を無効とすることによつて侵害される既得の権利、法的安定性、第三者の信頼保護が比較的小さいというような場合には、その行政行為は無効と考えうることである。明白性それ自体が問題なのではなく、法的安定性、第三者の信頼保護といつたような法的価値保護のためには一般的に明白性が必要とされるという意味においてこそ、無効原因としての瑕疵に明白性が要求されているのであつて、無効原因の必須の要件として一般化すべきものではなく、具体的妥当性追求のための一般的抽象的基準であり、便宜的な補助手段としての定型にすぎないと解すべきであると説かれている。(市原昌三郎「帰化の許可と無効原因の有無」行政法演習Ⅰ改訂版一三六頁、塩野宏「無効確認訴訟における訴えの利益」実務民事訴訟講座8、一一三頁)

行政行為には性質の異なつた種々のものがあるし、またこれらを無効ならしめる事由も多種多様である。そうであると、重大明白理論が、一般的な理論として成立するとしても、すべての場合について有効な機能を営むということは必ずしも言い得ない。ここに重大明白理論の限界があるのであつて、特に行政行為の基礎となつた事実関係の誤認による場合、即ち法規を事実関係に適用するに当つて、その事実関係の誤認による瑕疵が行政行為を違法ならしめる場合、いわゆる事実誤認の瑕疵の評価について、重大明白理論のもつ意義については、一応「重大性」は違法内容に関する実体法上の要件であり、「明白性」は違法の存在の実在性に関する手続上の要件であることから、<1>行政行為の実体面の違法性に関するかぎり、違法の重大性と区別された意味での明白性の観念が理論的に成立するかどうかは疑問があり、少くともこの理論が有効な機能を営むかどうかは問題である。<2>客観的な事実に関する誤認の場合は、その誤認の結果、法規に対する関係においてその行政行為が重大な違法があるかどうかの問題のほかに、その違法が明白であるかどうかを問題とすることが有意義な場合があり、その限りで重大明白理論は意味をもつことになるが、しかしこれを適用することが合理的であるかどうかは、他の理論―例えば重大な違法のみを行政行為の無効原因とする―と対比して検討を要する。<3>判例のとつている重大明白理論における瑕疵の重大性は、行政行為が違反した法規の抽象的価値の如何によつて評価されているのが普通であるが、常にそう考えるのが合理的かどうかという問題が存すると考えられているのである。(雄川一郎「行政行為の無効に関する一考察」法学協会雑誌八〇巻五号五五六頁)以上に述べた見地から最高裁判所昭和四八年四月二六日第一小法廷判決の「課税処分が特段の事情のないかぎり当然無効」とした判決理由の構成をみると、

「課税処分が法定の処分要件を欠く場合には、まず行政上の不服申立てをし、これが容れられなかつたときにはじめて当該処分の取消しを訴求すべきものとされているのであり、このような行政上または司法上の救済手続のいずれにおいても、その不服申立てについては法定期間の遵守が要求され、その所定期間を徒過した後においては、もはや当該処分の内容上の過誤を理由としてその効力を争うことはできないものとされている。

課税処分に対する不服申立てについての右の原則は、もとより、比較的短期間に大量的になされるところの課税処分を可及的速かに確定させることにより、徴税行政の安定とその円滑な運営を確保しようとする要請によるものであるが、この一般的な原則は、いわば通常予測されるような事態を制度上予定したものであつて、法は、以上のような原則に対して、課税処分についても、行政上の不服申立手続の経由や出訴期間の遵守を要求しないで、当該処分の効力を争うことのできる例外的な場合の存することを否定しているものとは考えられない。すなわち、課税処分についても、当然にこれを無効とすべき場合がありうるのであつて、このような処分については、これに基づく滞納処分のなされる虞れのある場合において、その無効確認を求める訴訟によつてこれを争う途も開かれているのである(行政事件訴訟法三六条)」

判示はもとより正当であるが、当然のことである。課税処分に瑕疵があり、違法処分であつても、課税処分に限つて常に取消し得る処分であつて、当然無効の処分は存しないと立論することができないことはもちろんである。無効原因たる瑕疵を伴うことによつて当然無効とされる処分であれば、不服審査を経る必要もなく、また出訴期間の制限も受けない。それだけに当然無効の課税処分を肯定することに慎重でなければならないのは、判決が説示されているとおりである。

右判決は、次いで、次のように判示している。

「一般に、課税処分が課税庁と被課税者との間にのみ存するもので、処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要のないこと等を勘案すれば、当該処分における内容上の過誤が課税要件の根幹についてのそれであつて、徴税行政の安定とその円滑な運営の要請を斟酌してもなお、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生を理由として被課税者に右処分による不利益を甘受させることが、著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には、前記の過誤による瑕疵は、当該処分を当然無効ならしめるものと解するのが相当である。」

と述べられているのである。

従来の課税処分の当然無効に対する判例の多くは、瑕疵の重大性を認めながら、その瑕疵は明白でないとして当然無効を否定してきた。

而して明白性の判定基準が「一般人の判断をもつてしても外観上明白であること」と表現されているが、具体的事件に当たつて、果して明白な基準であるか否か疑問なきを得なかつたし、判決例のなかには、「重大かつ明白」な瑕疵と言いながら、その実は、「重大」な瑕疵を理由に課税処分を無効と判定しているのではないかと疑わせる例もあり、さらに臆測すると、一切の事情の考慮のうえに当該課税処分を無効とする判断が先行し、その理由づけとして、重大明白理論を援用し、「重大かつ明白」な瑕疵があるとしているように見えるものがある。その結果、判断者を異にすることによつて結論を異にする可能性があつた。もつとも課税処分が当然無効とされた事例は稀であつたから、結論から逆説的に考えれば瑕疵の明白性はその判定基準の表現いかんにかかわらず、ほぼ統一されていたと考えられる。従つてもつと端的にいえば、課税処分の当然無効の要件は、瑕疵の重大性と明白性であると長年にわたり説明されてきたが、実際上は当然無効とされる課税処分は稀であつたため、瑕疵の明白性を明白にする要はなく、単に講学的説明にすぎず、裁判上の決め手になるものではなかつたと考えられるのである。

これに反して、前記昭和四八年四月二六日最高裁第一小法廷判決は、かかる瑕疵の重大性と明白性という伝統的見解から完全に脱皮し、前掲の如く判示したのである。

そこでは、もはや、「瑕疵の重大性」とか、「瑕疵の明白性」という文言は、使用されていない。強いて求めるならば、「当該処分における内容上の過誤が課税要件の根幹についてのそれであつて」という判示が瑕疵の重大性の表現であるといえないこともないが、しかし、瑕疵の明白性については全く触れられていない。判決は、「徴税行政の安定とその円滑な運営の要請を斟酌してもなお、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生を理由として被課税者に右処分による不利益を甘受させることが、著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には、前記の過誤による瑕疵は、当該処分を当然無効ならしめるものと解するのが相当である。」と判示している。瑕疵自体が明白であるか否かによつて当然無効の課税処分であるか否かを判断するのではなく、不服申立期間を徒過したことによつて当然に出訴権を失わしめることが、著しく不当と認められるような例外的な事情があるか否かによつて判断しようというのである。更に換言すれば、瑕疵ある課税処分を単に取消し得る課税処分であると解したのでは、著しく不当と認められるような例外的な事情がある場合には、当然無効の課税処分であると解すべきであるということになる。従来の伝統的見解よりは、遙かに具体的妥当性を重視した正当な見解であると評価されている。(判例時報七六八号一五五号、民商法雑誌六九号九一三頁、波多野弘「課税処分を無効とする瑕疵について」税法学二七六号・二七七号、中川一郎「課税処分を当然無効ならしめる過誤による瑕疵の解釈」シユトイエル一三六号・一三七号)

そこでこれを本件事案についてみると、上告人は生駒山麓の奈良県生駒郡北倭村大字高山で代々農業を営んでいた亡父稲垣政太郎の長男として、明治四二年一月一九日出生し、昭和一八年二月二三日父の死亡により家督を相続して戸主となり、亡父名義の田・畑などの不動産につき、家督相続を原因として上告人名義に所有権取得登記が経由されていた。上告人には二男佐市郎と三男政治の弟があり、二男佐市郎は亡父の存命中に藤田家に養子に迎えられ、三男政治は戸主たる上告人と共に暮らし、政治は高等小学校在学中から上告人を手伝つて農耕に従事していた。上告人と政治の間には一五歳の年齢の開きがあり、政治は海軍に召集され復員後も上告人と共に農耕に従事していたところ、昭和二五年秋、同村の奥田君子との婚約が成立した。ところで北倭村では古くからの慣習として、家督相続により先代の遺産を包括承継して戸主となつた長男は、弟が分家して世帯を持つ際には、分家する弟の生計を援助するため、遺産の一部を贈与することを慣行としていたので、上告人も親族と相談のうえ、昭和二五年秋頃、三男政治に対し生駒郡生駒町大字高山唐の子七一九四番地一の田ほか四筆、合計五筆の農地を贈与し、その頃、右農地を政治に引渡し、権利証も政治に交付した。政治は分家後しばらくは妻君子と共に右農地の耕作に従事していたが、右農地の耕作により飯米の自給はできたが、右農地からの収穫だけでは一家の生計を維持するのに不十分であつたことから、間もなく、農耕の合間に近所の手伝とか冬期には材木の伐採仕事に雇われ従事していたが、その頃から、上告人は政治に対し贈与した農地につき所有権の移転登記をするから協力するよう再三申入れていたが、政治は山仕事が身につくようになつたことから将来の夢を製材業に託すようになつていたので、上告人に対し、自分は百姓をいつまでやるかわからん、将来右農地を売却しその代金を元手に製材業者になりたいから登記はしばらくそのままにしておいてくれと述べて、右贈与にもとづく所有権移転登記に応じようとしなかつた。政治は昭和四〇年頃から小規模の製材所を始め、やがて製材の仕事が多忙となり農作仕事ができなくなつたので、専業農家である上告人や近隣の農家に右農地の耕作を依頼するようになり、上告人は弟政治のため右農地の一部の耕作を摂行し、その収穫の幾らかを年貢米がわりに政治に渡していた。翌昭和四一年秋頃、建設省が国道一六三号線を開設するにあたり、上告人が政治に贈与していた農地の一部が、右国道用地として買収されることになり、その頃、政治は右用地所有者の一人として他の被買収者らと共に建設省と交渉して売買契約をしたが、上告人が畑仕事に出た留守中に政治は上告人の妻ヒサヱから上告人の実印を借り出して、右売渡農地につき分筆・移転登記をして建設省から買収代金を受領していたらしいが、上告人は右売買には全く関与せずその取引の内容については全く知らなかつた。そして建設省に対する売却代金に関する譲渡所得税は無税であつたと聞いているが、税務署から上告人に対しては右売買についてなんらの問合せもなかつた。昭和四五年八月にいたつて、政治は株式会社稲垣建設を設立してその代表取締役に就任し、製材業に加えて建築請負業にも手を延ばし、生駒市高山町にはこれといつた業者もなかつたので、政治の始めた建築請負業は逐年発展を続けていたところ、昭和四八年秋頃、関西電力が防火用配水管を敷設するにあたり、前記農地の一部も公衆用道路敷として買収の対象となつたが、そのときも前同様、政治が他の被買収者と共に関西電力との交渉にあたり買収代金を受領していたが、上告人は右売買に全く関与していない。後日、上告人が聞いたところによると、奈良税務署は右公衆道路敷の買収代金にかかる譲渡所得税の確定申告書は、被買収者全員の分を一括して高山町宮方自治会の納税組合に交付し、右組合から被買収者各自宛に配布されたが、上告人には右確定申告書の配布はなかつた。後日知つたところによると、宮方自治会の会長もしたことのある政治が上告人に無断で上告人の氏名を冒用し、株式会社稲垣建設の顧問税理士であつた山形幸一をして、上告人名義の昭和四八年分の確定申告書を作成させ、右申告書に政治が上告人の妻から交付を受けていたと思われる上告人名義の課税所得控除保険料証明書を添付して、これを奈良税務署に提出していた。

因みに、いずれも上告人を申告者とする昭和四八年分の所得税確定申告書と乙第一号証の昭和四九年分の確定申告書を見くらべてみると、申告者署名欄記載の「稲垣政雄」の筆跡と、その右横の「稲垣」の三文印による印影は完全に同一であると認められるから、右二通の確定申告書は同一人物により記入作成されたものであることは明白であり、そして、その作成者は乙第一号証の申告書の一面の左側隅に「作成者税理士氏名」欄のなかに、「山形幸一」の署名押印が認められる事実からして、株式会社稲垣建設の顧問税理士であつた山形幸一であつたことも明らかであり、そして、上告人と山形幸一とは過去及び現在を通じて全く面識はなく、かつ、上告人は訴外政治及び山形幸一から、上告人名義の右確定申告書を作成・提出するについて許諾を求められたり通告をうけたこともなかつたから、右二通の確定申告書は上告人名義を冒用して作成された偽造文書であることも明らかである。

ところで昭和四九年春頃、日本電信電話公社が高山電信電話局を新設するにあたり、上告人が政治に贈与していた前記農地及びその隣接地の所有者たる訴外西向千歳外一名の所有地が、右建設敷地の候補地となり、その頃、生駒市高山町内で不動産業を手広く営んでいた訴外北和産業株式会社の代表者“西向きくの”が電々公社から依頼をうけ仲介業者として弟政治らに対し前記農地の譲渡方を申入れた。西向きくのが、当時、上告人名義のままであつた前記農地について、上告人に対しては一言も声をかけずに、直接政治に対し右申入れをしたのは、ほかでもない、前記農地の実際のかつ真実の所有者は、登記名義のいかんにかかわらず、とつくの昔に政治の所有に帰属していたという事実を、当事者はもちろん世間の人もこれを信じ、すでに高山町の近郷近在では周知の事実であつたからである。

政治は西向きくのからの右申入れを承諾し、その頃、政治は西向千歳ら売主及び仲介業者の西向きくのと共に、日本電信電話公社の買収交渉担当者であつた下村新蔵らと買収条件等につき十数回も交渉を重ね、また、被買収地の境界確定にもすべて政治が立会い、かくてその頃、西向きくのが生駒市高山町所在の「くろんど池」畔で経営していた料理旅館「くろんど荘」で、買収者側の下村新蔵と売主側の政治らとの間で売買価額の合意ができ、そして、昭和四九年五月二日、右くろんど荘において、電々公社の契約担当役近畿電気通信局第一建築部長森下淳及び下村新蔵と政治ら売主側との間で「土地売買契約書」(甲第五号証の一、二)が作成されることになつたところ、政治が前記農地の登記名義人である上告人の実印を持参していなかつたので、政治は森下・下村・西向きくのらに対し、「ちよつとすまんけど待つててや、兄貴のとこへ行つて判貸してもらつてくるさかいに」とことわつて席を中座して上告人方に赴き、上告人が畑仕事に出かけた留守中に訪ねてきて、留守番をしていた上告人の妻ヒサヱから上告人の実印を借り受け、途中、役場で上告人の印鑑証明書の交付を受けて、くろんど荘に舞い戻り、待ちうけていた下村や西向きくのに対し、「兄貴とこへ行つたら義姉さん一人やつて、判捜してもうてたさかい遅なつてん」とべんかいしながら元の席に座り直し、それから森下・下村らが目の前に差し出した右売買契約書の末尾に、政治が上告人の住所・氏名を記載し、かつ上告人の実印を押捺していた。したがつて、上告人は前記農地の売買には始から終りまで全く関係しておらず、甲第五号証の一の契約書は上告人の関与なくして作成されていたものであり、上告人が右契約書の存在を知つたのは政治の死後である。

そして右売買契約締結の際、電々公社側と政治の話合いで、買収代金は南都銀行生駒支店に政治が上告人名義の預金口座を開設し、政治から電々公社側に口座番号を通告し、電々公社は右口座宛に振込の方法により支払う旨合意されたので、同年五月四日、政治は右銀行支店に一万円を預金して新規に上告人名義の普通預金口座を作り、電々公社は近畿電気通信局を通じて右口座宛に、四九年五月一八日、金八〇、三二四、〇〇〇円と金一三、八八〇、〇〇〇円の二口、合計金九四、二〇四、〇〇〇円を振込支払い、さらに、同年六月一三日金八、九二五、〇四〇円の総計金一〇三、一二九、〇四〇円の振込がなされ、右振込のあつた直後、政治が右銀行支店から振込金の払渡しを受けながら、政治は上告人にその事情を告げることなく、右売却代金にかかる譲渡所得税を納付しないで右支払代金を悉く同人が経営していた株式会社稲垣建設又は自己の使用に供していたのである。

上告人は生れながらの百姓であり専業農家であつて、その農業所得の申告は、上告人も加入していた生駒市高山町宮方自治会内の納税組合に毎年度の農業所得を届出で、右納税組合が加盟組合員各自の所得申告書を作成し、奈良税務署に一括して申告手続を行つていたから、上告人個人としてはこれまで農業所得の申告手続をした経験は一度もなく、従つて、納税申告書の記載方法についても全く無知無経験であつた。ところが、昭和五〇年二月頃、奈良税務署から上告人宛に昭和四九年分の所得税の確定申告書用紙(乙第一号証)が郵送されてきた。そこで上告人は、政治に対し「わいの売つた田や、わいとこの方から申告せい」と言つて右申告書用紙を政治に手渡した。上告人としては、売買契約をしたのも売買代金を受取つたのも政治でありその内容についても政治しか知りえないから、右申告書に政治が同人に譲渡所得があつたものとして政治名義で申告してくれるものと思いこんでいた。ところが、政治は、株式会社稲垣建設の顧問税理士山形幸一に指示して、上告人には無断で、納税申告者欄に上告人の氏名を記載し、前記農地の売却による譲渡所得を金九八、四四八、一一四円、それに対する申告納税額を金一九、六五一、八〇〇円と記載した申告書に「稲垣」の三文印を押捺して、昭和五〇年三月一四日、奈良税務署に提出していたが、政治はその頃既に前記売買代金をもつて不動産を購入するなどして費消していたのか、右申告納税額を納付しなかつたので、同年四月頃、奈良税務署の係官が上告人方に電話をかけてきた。上告人は畑仕事に出て家に居なかつたので、電話口に出た上告人の妻ヒサヱが応待した。ヒサヱには電話の内容について理解できなかつたので、畑仕事を終えて帰宅した上告人に税務署から電話があつた旨伝えた。そこで上告人は政治に対し奈良税務署から電話がかかつてきたがどうなつているのか、ちやんと処置をするよう申入れておいた。それから一カ月ほど後に、政治が奈良税務署に赴き、前記譲渡所得税は政治において支払う旨申入れていた。しかし、その後も政治が納付しなかつたため、奈良税務署長は同年六月ごろ大阪国税局に徴税権を引継ぎ、大阪国税局の係官から上告人方へ数回電話がかかつてきていたらしいが、上告人は毎朝田・畑へ行つて終日農作業に従事することを日課としていたので、大阪国税局から電話のかかつてくる時間帯にはいつも不在であつたから、上告人が直接電話に出て通話したことはなく、留守番の妻ヒサヱが応待し、夕刻帰宅した上告人にその旨伝え、上告人はその都度政治に対し善処方を厳しく要求していた。しかし政治が支払をしなかつたので、大阪国税局は昭和五〇年九月一一日受付をもつて上告人所有の畑二筆、山林二筆につき債権者を大蔵省として差押登記をなし、上告人宛に右通告がなされたが、それまで、奈良税務署及び大阪国税局の係官が上告人方を訪ねて来たり、上告人と直接対話を交わしたということは一度もなかつた。

上告人としては、政治が上告人の名義を冒用して所得税の確定申告書(乙第一号証)を提出していたとは露とも知らなかつたから、右差押は上告人にとつてまさに青天の霹靂にもたとうべき出来事であつた。そこで上告人は直ちに政治方へ赴き同人に対し、「わいが税金納めへんから、うちの、こんな物件まで差押えされた、えらい恥や、早よ掛けよ」と厳しく問責・抗議して速かに税金を納めて右差押を解くよう要求し、その後も右要求を繰りかえしていたところ、政治はやつと同年一〇月二二日頃奈良税務署に対し上告人名義をもつて金五〇〇万円を納付していた。一方、上告人は右差押を受けた直後、大阪国税局に電話して上告人所有の物件に対する差押理由の具体的内容を問合わせたところ、所轄の奈良税務署へ行つて問合わせるよう指示されたので、上告人は奈良税務署に三、四回足を運び応待した担当官に対し、「この物件は、弟に、二十四、五年も前にやつたもんやから、全然、うちは、銭も受け取つておらんし、知らん」と申出て、その事情・経緯を説明のうえ課税当局の調査を求め早急に善処されたい旨申入れた。しかし奈良税務署が上告人の右申入れにつき調査した形跡はみられなかつた。

ところが翌五一年春頃、奈良税務署から上告人宛に譲渡所得の使途明細書という書面が送られてきた。ところで上告人には譲渡所得があつたわけではなく、前記売買代金からは一円の銭も取得していないから右使途明細書の本欄の中には何も記入しないで、その「備考欄」に、前記農地は売買契約当時上告人の名義ではあつたが、昭和二五年秋頃、弟政治に贈与したもので、右農地の実質上の所有者は弟政治であり、右農地を電々公社に売却したのも政治であつて上告人ではない。したがつて、上告人には譲渡所得は全くないから使途明細書によつて報告すべきことは何もない。右農地の譲渡代金は弟の稲垣政治が領収しているから、弟政治の取引先銀行などを調査されたい旨を記載したうえで、折返し奈良税務署長宛に返送した。そして政治に対しては、奈良税務署から上告人宛に譲渡所得の使途明細書の提出を求めてきた旨知らせて、政治に対し税務署への出頭を促がし、政治の口から税務署に対し直接譲渡所得の使途を説明するよう要求しておいたところ、政治はその頃奈良税務署に赴いて口頭で説明していた模様であり、その後、奈良税務署から上告人に対してはなんらの通知・連絡もなかつた。翌五二年秋頃、大阪国税局の奈良県担当の山中某から上告人に対し奈良税務署に出頭するよう呼出があつた。上告人が指定された日に奈良税務署に出頭したところ、山中某は上告人に対し早急に譲渡所得税の未納分を納付するよう求めた。そこで上告人は山中担当官に対し、前記農地は上告人名義ではあつたが二十数年前に弟政治に贈与していたこと、前記農地につき日本電信電話公社と売買契約を締結して売渡したのは弟政治であつて上告人ではないこと、したがつて上告人は前記農地の売買契約に全く関与せず右農地の譲渡による所得はすべて政治が領収し上告人には譲渡による所得は一円もなかつたこと、上告人名義でなされている所得税の確定申告は政治が税理士に指示して上告人の氏名を冒用してなされたものであること、政治は右譲渡代金をもつて土地を購入し工場・事務所を建築し、総檜造りの居宅まで新築していることなど詳しく説明し大阪国税局および奈良税務署は右事実を調査したうえで然るべき措置をされたい旨強く要望しておいたところ、それ以来、弟政治が翌昭和五三年一一月四日に死亡するまでの一年余りの間、大阪国税局からも奈良税務署からも上告人に対してはなんらの音沙汰もなかつたのである。

政治は過度の飲酒癖から肝臓を患うようになり、ために、同人の経営していた株式会社稲垣建設の事業も不振となり、昭和五三年夏頃西奈良中央病院に入院したが、同年一一月四日死亡した。ところがその翌々日の一一月六日、政治の自宅で葬儀が執り行なわれていたところ、どこで聞き知つたのか、大阪国税局の草野某と称する人が政治の自宅を訪ねて来て、上告人を呼び出し、大阪国税局の奈良県担当官が山中某から草野に変つたことを告げ、上告人の目の前で持参した書類をひろげて、上告人から政治に対し七〇〇〇万円を貸付けたことになつているが、事実かどうかを質問した。上告人としては全く身に覚えのないことで、そのような大金を政治に貸付けた事実はないから、これを否認しておいたが、不審に思つて政治の自宅に残されていた帳簿を調べてみたところ、政治が経営していた株式会社稲垣建設から税務会計の処理を委任されていた税理士山形幸一が、政治の前記譲渡所得を、政治が上告人から借入れたように操作し、奈良税務署宛の政治の確定申告書にも上告人からの借入金として処理されていたことが判明した。これを知つた上告人の長男政貢が知人に頼んで、大阪国税局宛の「申立書」と題する書面(甲第十二号証)を作成してもらい、五三年一二月一六日付で大阪国税局長宛に郵送し、右申立書のなかでその旨釈明したところ、草野氏から上告人に電話で、申立の趣旨はわかるが申立の相手方を奈良税務署長と取違えている旨の電話があつたので、改めて奈良税務署長宛に郵送し応答を待つたが、奈良税務署からはなんらの返事もなかつた。そこで上告人としては、処置に窮して思い悩んだ末、翌五四年三月一九日に至つて、やむなく、上告代理人弁護士に委任して、奈良地方裁判所に対し本件訴訟を提起したのである。

本件事案の事情・経過は以上のとおりである。

ところが原判決は、第一審判決の認定・判断の誤謬は一部これを訂正したが、概ね第一審判決の偏頗かつ不当な誤つた事実認定を踏襲しこれを援用して、

「前記認定事実によると、本件所得税確定申告をはじめ本件各課税処分に至るまでの一切の手続は、訴外政治の贈与税の負担を回避するために控訴人名義で申し立てられ、又は控訴人に対してなされたのに、控訴人は、訴外政治が本件所得税等を控訴人に代つて納めてくれるものと信じその対応を訴外政治に任せ、訴外政治に贈与税負担の問題が生ずるのを避けるために、本件各課税処分に対し異議・不服申立の機会を与えられながら、一切異議・不服申立をなさず、予期に反して訴外政治が納税を履行しないまま死亡し、訴外政治の遺産によつてはこれを支払うに足らず、結局控訴人において自ら本件所得税等を負担しなければならない事態になるや、一転して前記の申立てを行うにいたつたものである。してみれば本件各課税処分は控訴人が自ら招いたというべきであり、被控訴人大阪国税局長等としても、右のような事情から控訴人が形式上も実質上も本件土地の所有者で売主であるとして疑わず、控訴人名義の本件確定申告に基づき本件各課税処分に至つたもので、同被控訴人らに手落は認められないし、今更同被控訴人らが訴外政治の相続財産に対し新たな課税処分を行なつても徴税の実を挙げることが困難な状況にあるというべきであつて、前記の事実関係にある本件においては、「徴税行政の安定とその円滑な運営の要請を斟酌してもなお、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生を理由として被課税者(控訴人)に本件各課税処分による不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情(最一小判昭和四八年四月二六日民集二七巻三号六二九頁参照)が存在するともいえない。」

と判示したうえで、本件課税処分の無効を前提とする上告人の請求は理由がないとして棄却した。

しかし原審の右判断は、常識に反した論理の辻つまの合わない独断的かつ杓子定規な冷酷・非情な判断といわざるをえない。

まず原判決は、本件所得税確定申告をはじめ本件各課税処分に至るまで一切の手続が、「訴外政治の贈与税の負担を回避するために上告人名義で申し立てられ」たものと判示しているが、これはなんという驚くべき非常識なひねくれた事実の歪曲であろうか。なぜなら、そもそも本件課税処分の端緒は、政治が前記農地を電々公社に売却し、それによつて政治に譲渡所得が発生したことに起因するものであり、そして、政治が上告人の名義を冒用して所得税の確定申告を行つたのは、右農地売買に一切関与せず、かつ、右売買代金から一銭も利得していない上告人宛に奈良税務署から右譲渡に伴う所得税の確定申告書が送達されてきたことから、上告人が政治に対し「お前が売つた田やから、お前の方から申告せい」と言つて、上告人が政治に対し税務署から送られてきた所得税の確定申告書用紙をそつくりそのまま手渡したところ、政治としては、売買契約の売主名義も売買代金の受取名義人も共に上告人名義を冒用してしまつていたことから、多分、右譲渡所得の申告にあたり、そのまま惰性的に上告人の名義を冒用して申告してしまつたとみるのが常識的な解釈ではないのか。

ところで政治が電々公社から振込支払を受けた売却代金の一部をもつて、きちんと、納税義務を果たしていたら、実兄である上告人が現在遭遇しているようなひどい目にあうこともなく事は平穏無事にすんでいたのである。

奈良税務署が上告人に所得税の確定申告書を送つてきたのは、譲渡所得の碓定申告をして所得税を納付せよとして申告書用紙を送つてきたのであるから、政治としては譲渡所得税の確定申告をして所定の納税義務さえ履行しておけばそれでよかつたのである。それがどうして二十数年前の贈与税の負担を思いわずらう必要があつたのか、なぜ贈与税の負担の回避を画策する必要があつたのか。原判決の右判断たるや、非常識といわんよりは、辻つまの合わないナンセンスな判断と評せざるをえない。

次いで原審は、上告人が「訴外政治に贈与税負担の問題が生ずるのを避けるために」敢て、「本件各課税処分に対し異議・不服申立の機会を与えられながら、一切異議・不服申立をなさ」なかつたと判示しているが、この判断も上告人にとつては思いもよらない邪推・曲解である。

原審の判決理由は一の8で、上告人が本件差押処分の通知を受けた直後、奈良税務署へ陳情に赴いた際、税務署員から政治にかかる贈与税の問題をほのめかされたことから、上告人が政治に贈与税が賦課されるのを避けるために、不服申立をすることを断念したと短絡しているが、実際は、生駒の山里で七十数年の生涯を百姓ひとすじに生きてきた上告人には本件課税処分に対し二カ月以内に不服申立ができるということ自体を知らず、また、税務署員も上告人に対しそれを教示せず、従つて、上告人はただひたすら本件課税処分の違法を訴えその是正措置を求めていたのであつて、原審の右判断は見当違いもはなはだしい。

次いで原審は、上告人が訴外政治が本件所得税等を納めてくれるものと信じ、それをあてにして訴外政治に任せて一切異議・不服申立をなさず、「予期に反して訴外政治が納税を履行しないまま死亡し、訴外政治の遺産によつてこれを支払うに足らず、結局控訴人において自ら本件所得税等を負担しなければならない事態になるや」、「一転して前記申立てを行うにいたつたものである」と判示しているが、原審の右判断は常識に反した偏頗かつ不合理な判断というべきである。

けだし、上告人は前記農地の売買からは何らの利益も享受していないのに、零細農家の上告人にとつてはとうてい負担に耐えることのできない莫大な譲渡所得税の納付義務がふりかかつてきたばかりか、その滞納処分として、農業により生活を維持している上告人にとつてかけがえのない田畑・山林につき大阪国税局等から幾重にも差押執行を受け、これを放置すれば、上告人とその家族にとつて生存の基盤である農地の所有権を喪失するという危険にさらされていたというのに、上告人が税務当局との対応を政治にまかせきりにして、本件課税処分と差押執行を拱手傍観し、上告人から税務当局に対し一切異議・不服申立をしなかつたと断定するのは世間一般の常識に反し経験則を無視した違法・不当な判断である。

上告人が昭和五〇年九月大阪国税局長から本件差押通告を受けて以来訴外政治が死亡した昭和五三年一一月に至るまでの三年有余の間、上告人が折にふれ時に応じ、機会のある毎にその都度税務当局に対し、本件課税処分と差押処分の不当を訴え、その理由を陳情して、税務当局に対しその是正措置を懇願し続けていた事実は、すでに詳述したとおりである。

然るに、奈良税務署や大阪国税局は、上告人を無知蒙昧などん百姓と見くびつてか、はたまた、上告人の所有農地の差押執行に安住してか、上告人の言分を虚心に聴こうとはせず、いつも木で鼻をくくつた如き冷淡な態度で応待し、その結果、必要な調査を懈怠することにより、税務当局は、二度三度にわたり、本件課税処分の瑕疵を是正し、正当な課税を行う機会がありながら、その機会を有効に利用せず、訴外政治が死亡するまで、なんらの措置も講ずることなくこれを放置していたのである。

したがって、原審の前記認定判断は、事実を歪曲虚構した非常識かつ不合理な認定判断というべきである。

次いで原審は、前記の如き非常識かつ不当な認定判断にもとづき「してみれば本件各課税処分は控訴人が自ら招いたというべきであり」と判示して、税務当局の行つた重大な瑕疵を帯有する本件課税処分は当然の報いだといわんばかりに、こともあろうに、その責任を上告人に転嫁し、税務当局側が上告人から数度にわたり本件課税処分が相手方を誤つた違法な処分である旨の陳情を受けながら、必要な調査を実施せず、よつて本件課税処分是正の機会を逸した重大な手落ち、職務怠慢には目をふさぎ、税務当局が上告人の陳情に誠意をもつて対応し適時に質問調査権(所得税法第二三四条)を行使して電々公社の担当職員や西向きくのらにつき反面調査を実施していたらその瑕疵を発見して本件課税処分を是正し政治に対し新たな課税処分を行つて正当な徴税権を行使することができたのであるから、訴外政治の死亡により同人に対する徴税が困難な状況に立ち至つた責任は挙げて税務当局側が負うべきであるのに、原判決は、「被控訴人大阪国税局長等としても、右のような事情から控訴人が形式上も実質上も本件土地の所有者で売主であるとして疑わず、控訴人名義の本件確定申告に基づき本件各課税処分に至つたもので、同被控訴人らに手落は認められないし、今更同被控訴人らが訴外政治の相続財産に対し新たな課税処分を行つても徴税の実を挙げることが困難な状況にあるというべきであつて、前記の事実関係にある本件においては、控訴人に本件課税処分による不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情が存在するともいえない。」と判示して、上告人の請求を棄却し、税務当局が実質所得者課税の原則に違反して、上告人に対し重大な瑕疵ある本件課税処分を国家権力により強行しこれを実現することを是認したのである。

思うに、原判決が、真実の譲渡所得の帰属者でない上告人に対し、すなわち、譲渡所得の全くない上告人に対し、これがあるものとして、したがつて、実体的課税要件自体が絶対的に欠如している上告人に対し課税を行つた被上告人らの本件課税処分につき、いずれも実質所得者課税の原則を定めた所得税法一二条に反する重大な瑕疵があると認定判断しながら、しかしその瑕疵が課税処分時に明白でないという理由で救済を拒否するにいたつた本音は、税務当局が上告人の陳情を馬耳東風と聞き流して三年余を無為に浪費しているうちに政治が突然死亡するにいたつたことから、「今更被控訴人らが訴外政治の相続財産に対し新たな課税処分を行つても徴税の実を挙げることが困難な状況にある」という考慮、すなわち、訴外政治が死亡するにいたつた現在、本件課税処分を無効とすれば、課税庁が誰に対しても課税しえなくなるという結果が生じては困るということ、これを換言すれば、もつぱら、徴税行政上に支障・障害をもたらすことに対する配慮にあると考えられるのである。

上告人が国税通則法第七七条所定の二カ月の期間内に不服申立をしなかつた点については、本来、納税の主体を誤つたという如き重大な瑕疵を伴うことによつて当然に無効とされる課税処分については、不服ある者が法定期間内に不服を申立てなかつたとしても、そのことを問題にする必要はないということもできるのである。なぜなら、解釈論的にいえば、課税されるべき実体的理由が全くない者に対し、無効原因たる瑕疵を伴う課税処分の公定力および不可争力の発生を理由として租税負担を受忍させることは、租税法律主義の立場からは許されないからである。

さらに出訴期間を限定する法令の趣旨は、行政行為の安定と円滑な運営ということよりも、それ以上に、処分後、かなりの年月が経過してから相手方による処分の取消しの主張を認めれば、当該処分に直接関係する第三者の利益が侵害されるおそれがあることを顧慮して、これを防止する点にあると考えねばならない。このように考えると、同じ行政処分であつても、本件の如き課税処分の場合には、一般に、課税処分が課税庁と被課税者との間にのみ存するもので、処分の存在を信頼する第三者の利益保護を考慮する必要のない性格の行政処分であるから、上告人の出訴期間の不遵守はこれを不問に付することもできたのである。

したがつて、原判決が上告人に対し、所得税法第一二条に違反することの明らかな重大な瑕疵ある本件課税処分からの救済を拒否した理由は、ただ一点、すなわち、国庫の不利益と上告人の不利益を天びんにかけ、「疑わしきは国庫の利益に」という国庫の収入確保を重視する解釈原理から、伝統的な重大明白説を杓子定規に援用して、上告人の請求を棄却したのである。しかしこのような立場は国民の不利益において極端に国庫の利益を擁護するものであつて、広く納税者の支持を得ることはできない。

けだし、法治国家において、国家の機関が法規に違反してまで国民に不利益を強制し権利を侵害することは許されないからである。原判決も肯認しているように、上告人に対する本件各課税処分は、いずれも実質所得者課税の原則を定めた所得税法第一二条に反する重大な瑕疵を帯有することの明らかな行政行為である。

所得税法第一二条は、「実質所得者課税の原則」という標題で、

資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律を適用する。

と規定している。

旧所得税法三条の二には、現行法と同一内容の規定が存在していたが、その標題は「実質課税の原則」という標題であつた。

学説・判例は、実質課税の原則は、法律の明文の規定の存否に関係なく認めらるべき租税法上の原則であるとし、最高裁判所は、「実質課税の原則は、わが国の税法上早くから内在する条理として是認されてきた基本的指導理念であると解するのが相当である。」(昭和三七・六・二九裁判所時報三五九号一頁)と判示していた。

すなわち所得税法第一二条の規定する実質所得者課税の原則とは、租税法の原則であり、税法上に内在する条理であり、税法上の基本的指導理念でもあるのである。

而して、原則とは、人間活動の根本的規則であり、他の諸命題が導き出される基本命題をいい、条理とは、物事のすじみち・物事の道理・当然のすじみちであり、理念とは、理性によつて到達する最高の概念である。

我妻栄教授は、条理が法律に関係するのは二つの点であるとし、すべての法律及び契約の内容は条理に反するものであつてはならない。条理に反する部分は、あるいはその効力を否定され、あるいは条理に適するように解釈されなければならないと説かれ、つぎに、法律に規定のない場合には、条理に従つて裁判しなければならないことは、今日においては、一般に認められている。条理が裁判の準拠となることは疑いないと断言されている(我妻栄、新訂民法総則二一頁)。

してみれば、実質所得者課税の原則に違反した課税処分は、単に所得税法第一二条に違背する処分にとどまらず、わが国の租税法の原則を逸脱し、税法上に内在する条理に反し、税法上の基本的指導理念に背馳する違法・不当な処分であり、従つて、その処分の効力は当然これを否定しなければならない。

原判決は、本件各課税処分には、いずれも実質所得者課税の原則を定めた所得税法一二条に反する重大な瑕疵があるというべきであるが、その瑕疵が処分時に客観的に明白であつたと認め難いから無効ではないと杓子定規な判断をした。

しかしながら、上告人に対する本件課税処分は、譲渡所得の全くない者に対し、すなわち、課税処分の基礎である実体的課税要件が全く欠如している者に対し課税処分を行つたものであるから、その意味において極めて稀な事例ではあるが、健全な社会人の常識からみると、何人も容認することのできない著しく条理に反した不合理な処分であつて、本件課税処分の瑕疵は、前掲最高裁第一小法廷昭和四八年四月二八日判決のいう「課税要件の根幹についての重大な過誤をおかした瑕疵」、「当該処分における内容上の過誤が課税要件の根幹についてのそれ」と指摘されているものと全く同種の実体的な内容上の瑕疵である。

一方これに対して、原判決のいう「瑕疵の明白性」は、実は事実に支えられていないものなのであつて、瑕疵の存在の実在性を認定するにあたつての手続上の一般的抽象的な評価基準にすぎないものである。

多種多様な行政行為の瑕疵の効果を問題にするにあたつて、そのような一般的抽象的評価基準を立てることは一応是認されるとしても、本件各課税処分の如き、実質所得者課税の原則に真向から背反する課税処分にまでこれを持ち込むことについては大いに問題がある。

したがつて、本件各課税処分には所得税法第一二条に反する重大な瑕疵があるが、その瑕疵が課税処分時に客観的に明白であつたとは認め難いとして、上告人の請求を棄却した原判決には、右法令の解釈適用を誤つた違背があるばかりか、著しく正義に反しかつ冷酷・無慈悲な判断といわざるをえず、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点からしても原判決は破棄されるべきである。

三、上告理由第三点。本件課税処分は憲法第三〇条及び同第八四条に違背し、これを有効とした原判決は、したがつて憲法の解釈を誤つた違法がある。

わが国の憲法第三〇条は、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。」と、また同法第八四条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と規定している。そしてこれらの規定を通常「租税法律主義」に関する規定といわれている。

ところで、このような租税法律主義を憲法上の原則としている法制の下においては、納税義務は必ず法律、つまり国会で制定された税法の定めるところによつてのみ発生・成立することになつている。したがつて各種の税法は、納税義務の具体的な発生・成立の要件(この要件を通常「課税要件」という)を定め、各税法の定める課税要件に該当する具体的な事実が存した場合に、つまり各税法の定める課税要件を充足する具体的な事実が存した場合に、納税義務(国の側からみれば課税権)が具体的に発生・成立することになつている。いわゆる「代表なければ課税なし」(No taxation without representation)とか、「税法なければ租税なし」(No taxation without tax law)とか、あるいは、「租税は制定法の創造物である」(Tax is the creature of statute)というような格言は、ここからきているのである。この点は、「法律なければ刑罰なし」(Nulla poena sine lege)「法律なければ犯罪なし」(Nullum crimen sine lege)という格言がそれから由来する罪刑法定主義を採る刑事法の領域において、犯罪は、刑事法の定める犯罪構成要件に該当する具体的な事実の存する場合に当然に成立し、国家の刑罰権の行使が可能となつてくる、というのと全く同じである。

而して所得税法の定める課税要件は、<1>納税の主体(納税義務者となる者)の特定の方法、<2>課税の客体(課税の対象=所得)の特定の方法、<3>帰属(いかなる場合に納税の主体と納税の客体との結合関係が生じ課税原因を生ぜしめるかの問題)の判定方法、<4>課税標準の算定方法、<5>税率の特定の五つに大別して規定されているのである。したがつて、納税の主体と課税の客体との結合関係、つまり、「所得の帰属」ということは、課税要件の一つであり、所得税法上においては極めて主要な問題となつているのである。

そしてこのような「所得の帰属」の問題は、<1>具体的な所得が誰に帰属したか、すなわち、所得の具体的な帰属者の判定の問題と、<2>具体的な所得が何時帰属したか、すなわち、所得の具体的な帰属時期の判定の問題とに分かれるが、実質所得者課税主義は前者、つまり所得の帰属者の判定に関する方法を示した原則である。

而して上告人に対する本件各課税処分は、実体的課税要件が欠如しているのに、これに課税したものであるから、原判決も認めているとおり、所得税法第一二条に反する重大な瑕疵ある課税処分であることは歴然明白であり、そして上告人に対しては他に課税すべき根拠となる法律がない以上、上告人に課税を行うのは、義務なき者に義務を負わす意味で懲罰的ないし報復的な処分といわざるをえず、まさに法律に基づかない違法・不当な課税処分であつて、明らかに憲法第三〇条及び同法第八四条に違反した違憲の課税処分であつて当然無効である。

したがつて、本件各課税処分を無効でないとして上告人の請求を棄却した原判決には憲法第三〇条及び同法第八四条の解釈を誤つた違法がある。

よつて、原判決はいずれの点からしても破棄さるべきである。

以上

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